大判例

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東京地方裁判所 平成6年(合わ)113号 判決

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中一三〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

第一  認定事実

(犯行に至る経緯)

一  被告人の家族構成及び経歴

被告人は、慶應義塾大学法学部を卒業後、昭和三四年三井物産株式会社(以下「三井物産」と言う。)に入社した。被告人は、昭和三九年妻Mと結婚し、同女との間に長女Yと長男Kをもうけた。

被告人は、昭和四五年五月、マレイシアのクアラルンプールの出張所に転勤となって同地に赴任し、三か月ほどして妻子を呼び寄せ、昭和五〇年に帰国するまでマレイシアで生活した。被告人は、帰国後本社勤務となったが、昭和六〇年一二月、アメリカ合衆国にある三井物産の子会社に社長として出向することとなり、アメリカ合衆国ニュージャージー州に赴任した。被告人は、平成五年六月、三井物産の本社勤務となってMと共に帰国し、直ぐに同社の子会社の三井物産機械販売株式会社に出向して代表取締役副社長に就任した。なお、被告人は、長男Kを殺害した本件犯行当時は、すでに三井物産を定年で退職し、三井物産機械販売株式会社の代表取締役副社長専任であった。

二  被害者Kの生育歴及び経歴等

被害者Kは、生後八か月くらいから被告人の赴任先のマレイシアで五年ほど生活し、帰国して一年ほど幼稚園に通った後、昭和五一年四月千葉市内の小学校に入学した。Kは、幼少時を海外で過ごしたため、日本語の能力がやや劣り、小学校の成績は余り芳しくなかった。Kは、被告人が仕事や取引先との接待などで極めて多忙であったため、被告人と触れ合う機会をもつことが少なかった。

Kは、昭和五七年四月、家族の転居に伴って東京都杉並区内の中学校に入学したが、成績はやはり良くなく、昭和五九年の中学校三年生の夏休み前ころから、暴走族仲間との付き合いもできた。Kは、そのころから夜遊びをするようになって喫煙などの非行が芽生え、被告人やMに金を要求して断られると物に当たり散らし、Yに乱暴するようにもなった。Kは、三年生の夏休み後、友人と共にバイクを盗もうとして警察に捕まったが、被告人が身柄を引き受けたため自宅に帰された。しかし、Kは、その後、登校を拒否して暴れたために警察に連れて行かれ、結局、ぐ犯少年として家庭裁判所に送致され、昭和六〇年一月一〇日までの二〇日余りの間少年鑑別所に収容された上、保護観察処分に付された。

Kは、同年四月、東京都目黒区内の私立高校商業科に上位の成績で入学したが、相変わらず夜遊びを続けたため、高校には一か月ほどしか通学できずに休学し、家庭内では、Yに反発して手荒な行動に及んだり、遊ぶ金欲しさから被告人らに金銭の要求をしたりした。その後、Kは、美容院に勤め始めたが、二週間くらいで辞めてしまい、同年七月ころからシンナーを吸引するようになった。Kは、同年八月、友人と共にコンビニエンスストアの店員に対する傷害事件を起こして警察に逮捕され、家庭裁判所に送致されて二〇日余り少年鑑別所に収容されたが、被告人とMが在宅処分を希望したこともあって、再度、保護観察処分に付された。

昭和六一年一月、Kは、被告人の赴任先のニュージャージー州のハイスクールに転入することとなった。しかし、Kは、一週間ほどで遊び仲間のいる日本に帰ることになり、その後、下高井戸のアパートで七か月くらい単身で生活した。Kは、その間、オートバイに乗って交通事故を起こして入院したり、シンナー吸引事件で警察に補導されたが、当時保護観察中のこととて、少年院に送致されるおそれもあったため再び渡米し、同年九月、シニアハイスクールの一〇年生(高校一年生相当)に編入した。

Kの非行は、ハイスクール時代も修まらず、コカイン等の薬物使用や速度違反などの交通違反を重ねて裁判にかけられ、家庭内においても、被告人らに金を要求してそれがいれられないと暴れて物を投げるというような粗暴な行動を繰り返し、日ごろKに口うるさく生活上の注意をしていたMに対しては反抗的な態度をとることが多かった。Kは、無謀運転をして友人から精神に異常があるのではないかと疑われ、昭和六二年一〇月、友人の案内で、被告人の了解の許に、精神科医の診断を受けた。しかし、Kは、被告人と共に来院するようにと指示された日に受診せず、結局、昭和六三年一月までの間に三回通院しただけで治療を打ち切ってしまったため、薬物乱用からの離脱を図ることが出来なかった。Kは、出席日数の不足などから一年留年したが、平成二年、ハイスクールを何とか卒業した。

Kは、ハイスクールを卒業後、カリフォルニア州サンディエゴのコミュニティーカレッジに登録して三年間アパートで単身生活を送った。しかし、Kは、相変わらず薬物の使用を続けると共に駐車違反などの交通違反で何回となく罰金を払うなど、その生活態度は荒れたままであった。また、Kは、被告人に頻繁に金を無心し、毎月の生活費等のほか多額の送金を要求した。

Kは、平成五年六月、被告人が国内勤務となったために帰国し、肩書住居の被告人方で被告人及びMと同居した。ところが、Kは、しばらくすると、アメリカの大学を卒業したいと言い出し、同年九月、再び単身で渡米した。しかし、Kは、同年一一月、在留期間の延長が認められなかったことから帰国を余儀なくされ、被告人方に同居することになった。

Kは、帰国後の同月中旬ころ、自ら探した佐川航空株式会社江東営業所(以下「佐川航空」と言う。)に就職し、航空貨物の集配等の業務に従事したが、勤務時間の関係もあって、早朝に出勤して深夜に帰宅することが多かった。Kには、中学時代の同窓生で当時交際していた女性がいたが、同女は、佐川航空の仕事の拘束時間が長過ぎるという理由でKの就職先に難色を示していた。しかし、Kは、平成六年三月二六日まで遅刻もほとんどなく、意欲的かつまじめに仕事を続けていたため、上司からはそれ相応の評価を受けていた。Kは、佐川航空の上司に対しては、一年くらい働いた後、籍が残っているアメリカの大学を卒業したいなどとその抱負を語っていた。Kは、佐川航空に就職後は、自分の要求が通らないと大声を出して物に当たるというようなことはあったものの、家族に暴力を振るったり、物を引っ繰り返したりするというようなことはなかった。また、Kは、家庭内での行動に問題があったものの、被告人に何かと迷惑を掛けてきたことを自覚していたようであり、友人に対しては被告人のことをむしろ誇らしげに話していた。なお、Kは、性格的には素直で、気持が優しい半面、付和雷同型でわがままなところがあった。

三  Kの中学生時代以降就職するころまでの非行及び家庭内暴力と被告人のとった対応

被告人は、Kが中学三年時にバイクを盗もうとして警察に捕まった際、その身柄を引き取りに行き、警察官に家庭内暴力のことを相談した。被告人は、その際、警察官から、少年鑑別所に収容して性格等を詳しく調査してもらう方法もある旨のアドバイスを受けたが、Kに反省している様子も見られ、親の指導で立ち直らせることもできると考えてそのままKを引き取った。しかし、被告人は、Kがその後登校を拒否して暴れた際には、警察官に対し、Kを少年鑑別所に入れて調査してもらいたい旨の意向を伝え、結局、Kは少年鑑別所に収容された。被告人は、Kが家庭裁判所の審判で保護観察処分に処せられた後、Kを慰めると共にその将来をKと話し合うため、M共々伊豆方面に家族旅行に出掛けた。しかし、被告人は、Kから、少年鑑別所に収容されたのは両親がKを訴えたためである旨逆恨みされて食って掛かられた。また、被告人は、旅行先から帰った後、Kから友人と遊びに出掛けるための金を無心され、それを断ったところ胸倉をつかまれたりしたため、Kに金を渡してやった。そんなこともあって、被告人は、少年鑑別所でのKの神妙な反省の態度に一時は安堵したものの、Kを少年鑑別所に入れたのは逆効果で、かえってKの恨みをかったのではないかと考えて暗たんたる気持ちとなり、その後はKの家庭内暴力などに関して警察等の外部機関に相談をしなくなった。

被告人は、Kが高校に通学しなくなった際には、Kに対し、学校がいやなら目標を決めて働くようにと諭してみたけれども、あまり効果はなかった。被告人は、Kが、コンビニエンスストアの店員に対する傷害事件を起こした際には、家庭裁判所の審判官に対して在宅処分を強く希望し、そのためもあってKは少年院に収容されることもなく、再度保護観察処分となった。しかし、被告人は、Kから、この傷害事件で少年鑑別所に収容されたのは、前の事件で被告人らがKを少年鑑別所に収容することを希望したからであり、そのことを一生恨むなどと言われてしまった。そのため、被告人は、警察等の公的機関に頼ることの難しさを痛感し、警察等に相談しても逆恨みされるだけで効果がないとの思いをますます深くした。

被告人は、Kを立ち直らせるべき責任を痛感していたこともあって、米国に赴任した後の昭和六一年一月、Mや当時家庭内暴力を繰り返していたKなど家族を呼び寄せた。しかし、被告人は、Kがシニアハイスクールの一〇年生に編入してからも、Kの素行が修まらなかったため、学校や警察からたびたび呼び出された。被告人は、Kの支払うべき罰金や弁護士費用等の尻拭いをしていたが、Mからは、Kを厳しくしつけるようにと度々注文を付けられていた。しかし、被告人は、Kが暴れるたびに金を出したのではそれが癖になってKのためにはならないと分かってはいたものの、KがMやYに危害を加えるのではないかと心配したり、世間体を気にしていたこともあって、今回だけはというようなその場しのぎの考えでKのわがままを許してしまっていた。被告人は、アメリカ滞在中だけでも、自分の給料のほか、Mには内緒の銀行からの借入金、あるいは株の売却金など総額四〇〇〇万円ほどをKのために用立てていた。被告人及びKは、平成五年六月帰国したが、同年九月、Kがアメリカの大学を卒業したいと言い出したため、被告人はKを単身渡米させた。そして、Kが帰国する同年一一月までの間、Kから、強盗に遭った、ホテル代が払えないなどと様々な理由で送金依頼があると、被告人はその都度手を尽くしてKに送金をしていた。

被告人は、自分がKを悪くしてしまったとの自責の念もあって、Kが同年一一月中旬に佐川航空に就職してからは、何とかKを立ち直らせようと思い、遅い時は午前二時ころまでKの帰宅を待って出迎え、午前五時ころにはKを起こして会社に送り出すなどしてKの面倒をみた。被告人は、同年一二月中旬ころ、Kが三六〇万円ほどする中古の高級自動車(トヨタ・セルシオ)を買いたいと言い出した際も、Mが分不相応であるとして最後まで強く反対したものの、車の購入代金を分割払いで支払うことで仕事などに対する責任感も生じ、仕事も長続きするのであればと考えてこれを認め、諸経費分の三〇万円を援助した。被告人は、Kが佐川航空に就職することによって普通のサラリーマンの生活を続けられるようになったことに安堵したが、他方、睡眠時間を十分に取れない日もあり、慢性的な睡眠不足に陥っていた。

四  Kの就職後におけるシンナー吸引及び家庭内暴力の再発と被告人のとった対応

被告人は、Kが、平成六年三月二六日(土曜日)朝に出勤したものの、翌二七日(日曜日)午前三時ころまで帰宅せず、出迎えた被告人に対して何も言わずに自室に入り、普段は掛けない内鍵を掛けたので不審に思い、Kの車の中を覗いたところシンナーを吸うのに用いるビニール袋を発見した。被告人は、Kが、前にも女性とのトラブルがあるとシンナーに依存して異常な行動を繰り返して家族を悩ませたことがあり、現に交際中の女性とうまくいっていないのではないかと思い当たるふしもあったため、Kが再びシンナーを吸い始めたのではないかと心配になった。そこで、被告人は、合鍵を使ってKの部屋に入ったところ、強烈なシンナーの臭いがしたため、恐れていたとおりKが再びシンナーを吸い始めたことを知った。被告人は、早速、Mにそのことを伝えた後、再びKの部屋に入ると、テレビとベッドの間にシンナーが半分入った瓶が落ちているのを見付けたので、これを被告人の部屋に隠した。

Kは、同日午後六時一五分ころに起きたが、その日は午後六時から佐川航空の営業所長の歓送迎会が船上で開催される予定であり、上司から集合時間を厳守するようにと言われていたため大騒ぎをした。そこで、被告人が、集合場所で船が帰って来るのを待って謝ればよい旨助言したところ、Kは、被告人から歓送迎会の費用として二万円を受け取って自宅を出た。しかし、Kは、程なくして外から自宅に電話を入れ、会社から電話があったら朝から出掛けている旨伝えるようにとMに依頼し、結局、歓送迎会には出席しなかった。Kは、歓送迎会の席上、海水パンツ一枚の格好で余興をさせられるのではないかと思い煩い、交際中の女性に対しては、歓送迎会に出席したくない事情として、会費が高いことや海水パンツを持参するように言われていることなどを電話で伝えていた。

被告人は、翌二八日(月曜日)午前五時ころ、車の気配で目を覚まし、帰宅して二階に上がろうとするKに出勤を促したところ、Kは、「今日は行かない、馬鹿馬鹿しいからもう佐川で働くのはやめる。」などと答えた。Kは、交際中の女性に自宅から電話し、会社でいじめられるから今後は出勤しない、勤めが終わったら電話を入れて欲しいなどと伝えた。被告人は、Kが玄関に放り出していった鍵で車のドアを開けたところ、シンナーの瓶やシンナーを浸らせたティッシュペーパーの入ったビニール袋数個を車内に発見したため、シンナーの瓶を洋酒棚に隠し、ビニール袋数個は焼却炉に捨てた。被告人は、Kがこのままシンナー吸引を続けるようでは困るので、Kに意見をしようと考え、その日は会社を休むことにした。被告人は、Kに対し、何が不満で佐川航空を辞めるのかと質問したところ、「自分はほかの人より長い時間働いているのにそうでない人と給料が変わらない。新人だというので酒を飲まされた。」などと答えてその日は寝てしまった。被告人は、同日午後三時ころ、起床したKにシンナーを吸引しないよう注意したところ、Kはシンナーなどやっていないと答え、友人と会うのに一万円欲しいと言うので渡したところ車で外出した。被告人は、午後八時ころ、MからKが帰宅して車の中にいる旨を知らされて出て行くと、Kがシンナーの瓶とビニール袋を持って二階へ上がって行ったので車の中を調べようとしたところ、Kが戻って来て車で外出すると言い出した。被告人は、Kがシンナーを吸引した状態で車を運転することに反対して鍵を取り上げたが、これに反発したKが大声を出したり、車のクラクションを鳴らしたりしたため、大騒ぎをしては近所迷惑だと考え、嘆かわしい気持ちを持ちつつもやむなくKに鍵を渡した。Kは、午後九時ころ、車で外出した。Kは、翌二九日(火曜日)午前零時ころ、交際中の女性に電話し、シンナーを再び始めてしまったことを告白し、同女からシンナーをやめるように強く説得されたが、自分でもどうしてシンナーを始めてしまったのかが分からないなどとその心情を述べた上、父親から会社には出勤するようにと言われているので出勤するつもりである旨を伝えた。同女は、Kに対し、会社でいじめられるのであればKが出勤することには反対であり、父親にも実情を打ち明けたのかどうかを確認したが、Kは父親の意向があくまでも出勤してほしいということである旨を同女に伝えていた。

被告人は、同日午後一〇時ころ、首都高速道路機動隊から、Kが交通事故を起こしたので身柄を引き受けられたいとの電話連絡を受けた。被告人は、Kの身柄を引き取りに行った際、警察官から、事故の内容が首都高速道路出口付近での車両の転覆による道路標識の損壊であること、車はほぼ全損の状態であること、Kが発見されたときには完全にシンナーの影響下にあって自分がどこにいてどこを走って来たのかも分からない状況であったこと、定職があってシンナー吸引も初めてということなので今回は穏便な措置をとるつもりであることなどの説明を受けた。被告人は、その際、警察官に対し、シンナーをやめさせる良い方法はないかと質問したが、本人の自覚の問題であるとの回答しか得られなかった。被告人は、常習的にシンナーを吸引しているKの身柄を拘束してもらいたいという気持ちもあったが、過去にKを少年鑑別所に収容させて逆恨みされたことがあったことや、せっかく佐川航空で働くようになっていたのにささいなことでつまづいているのではないかと思い、以前のようにまじめに仕事をしていた状態に何とかして戻したいという気持ちがあったことから、警察官に対し、Kにシンナーの吸引歴があることをあえて言わなかった。被告人は、Kを被告人宅に連れ帰る途中の車内で、Kに対し、シンナーをやめて佐川航空に詫びを入れて再び働くように諭したところ、Kは、佐川航空での仕事は面白く、金にもなるので働きたいと思ってはいるが、交際している女性が仕事が厳し過ぎて付き合う時間がないという理由で強く反対している旨答えた。被告人は、Kに対し、他人が何と言おうと最終的な決定権はK自身にあることを忘れてはならず、佐川航空で働く気があるのならこれからでも事務所に連れて行ってやる旨助言した。しかし、Kは、佐川航空には明日自分で行く旨答え、交際している女性に会って話をしてから帰るので途中で降ろして欲しいと言い出し、被告人から一万円を貰って車から降りてしまった。Kは、事故後被告人が迎えにくる前に、交際中の女性に電話連絡し、「事故を起こした。口がざくざくだ。家に帰ったらまた電話する。」などと言っていたが、下車した後再びその女性に電話連絡し、「父親が迎えに来てくれたが口をきいてくれない。あの車が使えなくなった。明日は家にいるから会社から帰る時に電話をして欲しい。」旨伝えた。

Kは、翌三〇日(水曜日)午前三時ころ帰宅し、当日は佐川航空に出勤する予定であるから一万円を部屋に置いておいて欲しい旨を被告人に伝えて部屋に入ったので、被告人は、当日出勤する際にKの枕元に一万円を置いておいた。Kは、被告人が出勤した後、シンナーを吸引しながら全裸で家の中を歩き回ったりしていたが、夕刻には、佐川航空の責任者に電話をかけ、交通事故を起こしたこと及び仕事をする気持ちはあるので会社に出勤したい旨を伝えた。被告人は、同日午後九時ころ帰宅したが、Kが昼間シンナーを吸っていた状態をMから聞いてKの部屋に行き、ベッドでシンナーを吸引しながら全裸で横になっているKに対し、シンナーをやめて会社へ行くようにと意見をした。Kは、「シンナーなんてやっていない。会社には電話して出勤すると約束した。上司からは頭を丸めるように言われた。」旨被告人に返答し、被告人に「部屋から出て行け。」などと怒鳴った。Kは、当日、交際中の女性に対し、「親父も男ならやってみろと言っている。会社には出勤する。頭を坊主にしたらお前にも見せに行く。その時は電話する。」などと、この間の事情を電話で説明した。なお、Kは、同日の夜は外泊するかもしれないので、食事代、宿泊代が必要で、頭を丸めるのに散髪代もかかるとの口実で被告人に二万五〇〇〇円を要求し、被告人からこれを受け取って外出した。

翌三一日(木曜日)午前九時ころ、被告人の出勤時にKが外出先からタクシーで帰り、そのまま自分の部屋に入ってしまったため、被告人は乗車料金を支払ってKの部屋に行き、シンナーを吸引しているKを見付けた。被告人は、Kに対し、「頭を丸めて会社に行くのではなかったのか。」などと問い詰めたが、「頭を丸めるのはいやだから佐川には行かない。辞める。」などと答えてシンナーを吸引し続けたため、シンナーをやめて会社に行くようにと何度も言い聞かせた。しかし、Kが、「シンナーなんかやっていない。一人でエッチをするから部屋を出て行け。」などと怒鳴るので、被告人はKに対する説得をあきらめて出勤し、当日は午後九時ころ帰宅した。

翌四月一日(金曜日)午前零時ころ、Kが、シンナーを吸いながら、自分の部屋の衣類や下着をトランクに詰め、そのトランクを階段から階下へ落とすなどし、「今からアメリカに行く。」などとろれつが回らない口調で騒ぎ出した。被告人は、Kを部屋に連れ戻してベッドに寝かせたが、しばらくするとまた出て来て騒ぐというようなことを繰り返してそれが午前五時ころまで続いた。被告人は、Kの当日の様子は尋常でないとの認識をもった。しかし、被告人は、Kを部屋に連れ戻したり、Kの散らかしたものを片付けたりしてほとんど眠れないまま出勤し、午後九時ころ帰宅した。被告人は、帰宅後に佐川航空の責任者から電話を受け、Kの今後について話をしたいのでKが帰宅したら連絡が欲しい旨を告げられてこれを了承した。すると、午後一一時ころ、Kが、鼻血を出しながらシンナーを持ってタクシーで帰宅し、そのまま黙って二階の自分の部屋に行ってしまった。被告人は、タクシーの運転手に乗車料金を支払って事情を聞いたところ、Kが新宿の南口にシンナーを買いに行き、その際にシンナーの売人から殴られたとのことであったので、Kにシンナーを買わないようにと注意を与えた。被告人は、寝る前にKの様子を見に行ったところ、Kがベッドでシンナーを吸引していたので、瓶の在りかを尋ねると共にKをベッドから移動させてマットレスの下からシンナー二本を発見したが、シンナーが切れた時にKに暴れられると困ると思い、これを取り上げずにそのままにしておいた。

翌二日(土曜日)午前零時過ぎころ、Kは、交際中の女性に電話し、頭を丸めるのはいやだから会社には行かない旨荒れた口調で伝えたが、その後も更に電話をして寝ていた同女を起こし、ベッドを捨てるなどと意味不明のことを伝えた。Kは、午前一時ころ、被告人の部屋に入って来て、ろれつの回らない口調で、「俺はF1レーサーになりたい。誰かと話をさせろ。今からホンダに連れて行け。」などと騒ぎ始めた。被告人は、支離滅裂なことを言うKを何とかなだめすかし、午前四時ころ、やっとの思いでKを部屋に戻した。被告人は、当日、得意先とゴルフの約束があったが、Mを一人にしておくのが心配だったことや、Kに意見をしようと思ったことから、ゴルフの約束を断って終日家に居てKの様子を見ることにした。被告人は、昼過ぎに起きて来たKが、友達と泊るからなどと言って金の無心をして来たため、金を出せば何とかなるのではないかと考えて二万円を渡したところ、Kはそれを受け取って出掛けてしまった。被告人は、この時点においても、Kにシンナー吸引をやめるように説得すれば、すぐにはやめないにしても一週間ほどで普通の状態に戻るものと期待していた。被告人は、同日午後一〇時ころ、新宿警察署保安係から、Kが新宿区歌舞伎町のホテルに一人で入ってシンナー吸引事件を起こした旨の連絡を受けた。被告人は、Kの身柄を引き受けるために新宿署に赴いた際、警察官に対し、二四歳にもなってシンナーを吸引するものかと尋ねたが、やはり本人の自覚の問題であるとの回答しか得られなかった。被告人は、警察官に対し、Kの身柄の引受けをしない場合の事件処理の行く末について質問したところ、一〇日間の勾留が付くかもしれないが初犯だからせいぜい罰金刑であろうとの意見であった。被告人は、Kの身柄を拘束してもらいたいという気持ちもあったが、一〇日間程度の勾留では、釈放されたKにまた逆恨みされるのが落ちであるし、Kには働いてもらいたいと思っているのに、ここで警察に逮捕されたらその望みもなくなってしまうと考えたことなどから、この時も警察官に対してKの日頃のシンナー吸引状況や前歴などの詳細については話さなかった。しかし、Kは、帰宅のため署内のエレベーターに乗った途端に、被告人に対し、「お前がアメリカへ行かせないからこういうことになるんだ。死ぬまでシンナーをやってやる。」などと悪態をつき、帰宅途中の車内では、さっそくジーパンのポケットからシンナー入りのビニール袋を取り出してシンナーを吸引し始めた。また、Kは、帰宅後、Mが作ったてんぷらうどんを少々食べたところで「シンナーを買いに行くから金をくれ。車の鍵を貸せ。」などと言い出し、被告人がこれを断ると、食べかけのうどんの丼を持ち上げて食卓に叩き付けた。さらに、Kは、食卓の上にあった海苔の缶等を茶の間のガラス戸に投げ付けてガラスを割り、茶の間のテレビを畳の上へ放り投げて更に暴れようとしたので、被告人がたまらず二万円を手渡すとこれを持ってシンナーを買いに出て行った。その後、被告人宅と隣接する住宅に住んでいるYが被告人らの様子を見に来たので、被告人は、Yに対し、Kが生後間もないYの長女に危害を加えるといけないので渡り廊下の境のドアに鍵を掛けて椅子を押し付けておくようにと注意を与えて鍵を渡した。

Kは、翌三日(日曜日)午前一時ころ、シンナーを買って帰宅したが、しばらくすると二階の自分の部屋からテレビや予備のベッドなどを持ち出して階下に投げ下ろし始めた。被告人は、Kにシンナーをやめるように注意したり、Mと二人で暴れるKを押さえたりして止めようとしたが、振り払われてどうすることもできなかった。被告人は、Kがひとしきり暴れた後に部屋に戻ってシンナーを吸引し始めたため、Mと共にKの投げた物を片付け、午前四時過ぎころようやく床に入った。すると、Kは、被告人らが寝付きもしないうちに部屋に現れ、「テレビとビデオとステレオとCDプレーヤーを買って来い。」などと怒鳴り、被告人が、夜が明けるまで待つようにと言い聞かせたものの、すぐ買わないと大暴れして家中を壊すとか、ぶっ殺すなどと口走って反発した。被告人は、午前五時過ぎになってようやく眠ることが出来たものの、午前七時ころには、再び起き出したKが被告人の部屋に押し掛け、早く買って来るようにと怒鳴って騒ぎ立てた。被告人は、まだ開店時間になっていないなどとKに言い聞かせて午前九時過ぎころまで応対していたが、Kから何度もせかされたため、Kの指定するビデオ付きテレビを指示された販売店まで車で買いに行き、午前一一時ころ、Kの部屋に備え付けてやった。すると、Kは、部屋のベッドに横になり、シンナーを吸ってうつらうつらしながらポルノビデオを見ていた。Kは、同日の昼過ぎころ、一階に下りて来て、「シンナーを買いに行くから金をよこせ。」と大声を出した。被告人は、金がないと言ってKの要求をいったんは拒絶したものの、Kが金を出さなければ大暴れするなどと言って茶の間の茶碗に手を掛けたため、やむなく二万円をKに手渡した。Kは、シンナーを買って夕刻帰宅し、部屋でシンナーを吸っていた。そのころ、Kと交際している女性がKのことを心配して被告人方を訪ね、Kにシンナー吸引をやめるように強く説得したが、Kは、「次の仕事が決まるまでシンナーはやめない。俺と結婚してくれ。明日、籍だけでも入れに行こう。」などと言って同女を困惑させた。被告人は、Kが、女性に対してこれまで何かと格好をつけたがるところがあったのに、自分の部屋でシンナーを吸引しつつ、ポルノビデオを再生したままにして交際中の女性と応対していたことから、よほど自暴自棄になっているのではないかと思った。Kは、当夜、同女と外食に出掛け、帰宅後に同女方に電話を入れ、「運転に自信があるから車のレースをやる。」などと話し、その当てがあるのかとの質問に対しては、被告人を頼りにしている様子で「親父にあるよ。」などと答えた。Kは、同女と翌四日に会う約束をして電話を切った。被告人は、Kの帰宅後、シンナーをやめるようにと意見をしたが、逆に、Kからシンナーはやっていないから部屋から出て行くようにと言われ、Kを説得し切れなかった。被告人もMもこの間のKとの対応に追われて心身共に疲れ、Mは、困り果てた末、Kのことは精神科の病院に相談したらどうかと被告人に提案したりした。

被告人は、翌四日(月曜日)午前七時ころ、犬の散歩を済ませて自宅二階の被告人らの部屋に戻り、当日は午後から会社に出勤する旨をMに話していると、階下で瀬戸物の割れたような大きな物音がしたため、何事かと思って階下に行った。すると、Kが玄関に立ち、「シンナーを買いに行くから金をよこせ。二万円だ。」などと大声で叫んでいた。被告人は、時間が早過ぎてシンナーを売っているはずがないと言ってKを寝かせようとしたが、Kはこれを全く無視し、玄関のドアを無理やり全開させて玄関の外壁に付いている電灯などを壊してしまった。Kは、玄関の外に立って、「金をよこせ。」などとなおも大声で叫び始め、外聞が悪いので被告人がやむなく二万円を渡すと、これをひったくるようにして出て行ってしまった。被告人は、茶の間の食卓が引っ繰り返されてその脚がはずれ、皿が落ちて割れていたため、Mと二人でその後始末を始めていると、まもなくKが土足のまま茶の間に入って来て、「二万円じゃ足りない。あと二万円出せ。」などと金の要求をした。被告人は、一度は拒絶したが、Kが、家財道具を壊すような素振りを示して脅したので、仕方なく再度二万円を渡した。Kは、それを持って出て行ったが、その際、玄関に置いてあった洋服タンスを引き倒した上、電話台をそのタンスの上に投げ付けると共に洋服掛けを投げ付けてガラス窓を割るなどの乱暴を働いた。被告人が、同日午前八時三〇分過ぎころ、Mと二人で後片付けをしていると、シンナーを買うのをあきらめて程なく帰宅したKが、土足で玄関に上がって来て、被告人に対し、「タクシー代を払っておけ。この前隠したシンナーを出せ。」などと要求した。被告人は、Kの言うとおりに乗車料金を支払い、洋酒棚に隠しておいたシンナー二本をKに渡してやった。Kは、それを持って自分の部屋に行き、ポルノビデオを見ながら、早速シンナーの吸引を始めた。

被告人は、Yから何事があったのかとの問い合せの電話があったことから、Yの家に行き、「Kがシンナーを吸って荒れている。地獄のような生活だ。他人の手は借りられない。場合によっては、自分の責任でやらなければならないかもしれない。何とかお前の方には危害が及ばないようにするから心配しないでいい。」などと状況を説明した。被告人は、Yから、「自分でやるのはやめて。私が警察に電話しましょうか。」などと忠告されたが、被告人は、警察には通報しないように指示した上、「家庭内暴力は、しょせん親の力か家族内で収めないとだめだ。お前が電話したことが分かれば、Kが逆恨みして危害を加えるかもしれないし、赤ん坊もいるのだから絶対に出て来るな。」などと答えた。

被告人は、その後、Mと共にKの部屋に行き、シンナーをやめるように説得したが、Kは、「そんなものやってねえよ。出て行けよ。」などとうそぶくだけで、被告人らの話を全く聞こうとはしなかった。被告人は、Kに佐川航空に電話をかけさせれば、あるいは翌日から働きに行くことを約束してくれるかもしれないと考え、Kに対し、「佐川が嫌なら辞めてもいい。どこで働くにしても佐川を首になった状態ではほかで働けないぞ。T所長に電話してはっきりさせろ。」などと言って電話をかけるように促した。すると、Kは、同日午前一〇時過ぎころ、佐川航空のT所長に電話をかけたものの、「いろいろ迷惑かけましたが、俺辞めます。」などと言ってしまった。被告人は、Kが佐川航空を辞めると言ってしまったことで、それまでKに対して気を遣い、要求されるままに金を渡し、四か月ほどにわたり睡眠時間を削ってまで朝晩Kの面倒を見てきたことが全て無駄になったように思え、絶望的な気持ちになった。

そこで、被告人は、被告人らに対して部屋から出て行くように怒鳴っているKの目を覚ましてやろうと考え、平手でKの左頬を一回思い切り殴ったが、Kは反抗するでもなく、「もっと殴れよ。」などと言ってまともに反応しなかった。そこで、被告人は、Kの両肩をつかんで揺さぶったが、Kに抵抗されてそれ以上揺さぶり続けることができなかった。その後、MがKの部屋に入って来て、泣きながらKの背中に厄除けの御札を押し当て、「この子を助けてください。」と何度も叫んだが、Kが、Mの方をあごで示すようにして、「これをどけろよ。」と被告人に言ったため、被告人は、Kの母親に対する親を親とも思わない不遜な態度に許せない気持ちになって憤激し、その反面、Mが余りにもかわいそうに思え、Mに部屋の外に出てもらって部屋の内鍵を掛けた。被告人は、Kに対し、シンナーをやめるようにと意見をしたところ、Kが「この瓶がなくなったらやめる。」と返答したので、テレビの上に置いてあった二万円について「それならこの金は要らないな。」と言うと、「いや、要る。そこへ置いとけ。シンナーを買いに行くから。」などと言い、人を馬鹿にするような態度をとった。

被告人は、これだけ馬鹿にされれば十分だと思いながらも、最後にもう一度だけ言い聞かせようと考え、「どうしてもシンナーをやめないなら、俺と勝負して俺の死体を乗り越えてシンナーを買いに行け。」などと言ったが、Kが何の反応もせず、シンナーを吸った状態のままであったので、被告人の右腕を仰向けに横になっているKの首の下に回して抱き起こし、左手の拳でKの右顔面を思い切り殴り付けた。ところが、Kは、反抗するでもなく、被告人が右腕を離すとそのまま仰向けに横になってしまった。被告人は、Kのこのような態度を見て、更に馬鹿にされているように思い、再度Kの両肩をつかんで揺さぶったが、Kは両足をばたつかせて被告人を蹴飛ばすだけで被告人に立ち向かって来ることもなく、ベッドに腰を掛けて仰向けにやや横たわるようにしながら左手にシンナー入りのビニール袋を持ってシンナーを吸っていた。

(犯罪事実)

被告人は、平成六年四月四日午前一一時ころ、東京都杉並区〈番地略〉被告人方二階六畳間において、長男Kのこれまでの不良な行状や当日の出来事をあれこれ思ううち、Kのシンナー乱用や家庭内暴力はもはや直らず、このままでは家族に危害を加えかねないばかりか他人にまで迷惑を掛けることになるのではないかとK及び家族の将来を深刻に憂慮し、さらに、Kの母親に対する不遜な態度や、Kのために犠牲を払ってきた両親の気持ちをKが全く分かろうとしないことに対する恨みつらみから腹立たしさを募らせ、親をどこまで馬鹿にすれば気が済むのかという思いも加わり、いっそのこと自分自身の手でKを殺して全ての決着をつけようと考えるに至り、Kの殺害を決意した。

被告人は、前記のようにベッドでシンナーを吸っているKの左側に腰を掛け、右腕をKの首に回した上、左手でKの首に回した右腕の手首をつかみ、後方に自己の上体を倒しながらKの上体を思い切り引き寄せて右腕で力一杯Kの首を絞めつけた。被告人は、数分間首を締め付けたところKの体から力が抜けたのが分かったため、死んだものと思っていったん手を緩めたが、Kの心臓が停止しておらず、白目をむき出して口から舌を出したままよだれを垂らして荒い呼吸をしていたことから、Kがまだ死んでいないことを知った。被告人は、Kがこのまま生き返った場合の家族に対する仕返しを恐れ、苦しそうにしているKを楽にしてやりたいとの気持ちもあって、この場でKを殺害するためにはとどめを刺す必要があると考え、一階の台所から文化包丁(平成六年押第九〇三号の1)を持ち出し、ベッドに上半身を仰向けに横たえて荒い呼吸をしているKの左手の側に近付き、体の安定を保つため、左足を床に付けて右足の膝をベッドの上に乗せた片膝の状態となり、文化包丁を両手で順手に持ち、これをKの喉仏のすぐ下辺りに当てて思い切り突き刺し、さらに、頚部を数回突き刺したが、確実にKを殺すためには心臓を刺した方がよいと考えて胸部を一回刺した後、再び頚部を突き刺し、そのころ、その場において、Kを頚部刺創による失血により死亡させて殺害した。

第二  証拠の標目〈省略〉

第三  法令の適用

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一三〇日を右刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

第四  弁護人の主張に対する判断

一  正当防衛が成立するとの主張について

弁護人は、被告人の本件犯行は、自己又は家族の生命、身体及び財産への急迫不正の侵害に対する防衛行為であって、正当防衛が成立する旨主張する。

しかしながら、判示認定の被告人が本件犯行に及んだ際の状況に照らすと、被害者が、本件犯行当時、被告人又はその家族の生命、身体及び財産に対して現に危害を加えていたわけではなく、また、危害を加えようとしていたわけでもないことは明らかであるから、被告人又はその家族の生命、身体及び財産に対する急迫不正の侵害は存在しておらず、正当防衛の要件を欠くと言うべきである。弁護人の右主張は採用できない。

二  期待可能性がないとの主張について

弁護人は、被告人には行為の当時被害者を殺害する以外のことを期待することができなかったのであるから、期待可能性が存在しない旨主張する。

しかしながら、被告人が本件犯行に及んだ際の判示認定の状況に照らすと、本件犯行当時、被告人に被害者を殺害する以外の行為をすることを期待し得ないというような事情が存在しなかったことは明らかであり、適法行為を行い得る期待可能性がなかったとは到底認められない。弁護人の右主張は採用できない。

第五  量刑の事情

本件は、シンナーを乱用して家庭内暴力を繰り返す長男の行状に思い余った被告人が、二四歳の我が子の命を断ったという被害者及び加害者双方にとってまことに痛ましく、悲惨な事案である。

本件犯行の動機は、被告人が、判示認定のような経緯で、被害者や被告人ら家族の将来を深刻に憂慮し、さらに、被害者の母親に対する不遜な態度や、被害者のために犠牲を払ってきた両親の気持ちを被害者が全く分かろうとしないことに対する恨みつらみから腹立たしさを募らせ、親をどこまで馬鹿にすれば気が済むのかという思いも加わり、いっそのこと自分自身の手で被害者を殺して全ての決着をつけようと考えるに至ったというものである。

なるほど、被害者の家庭内暴力は一〇年余の長きにわたり、殊に、判示犯行に至る経緯四で認定した被害者の行動は、四六時中シンナーを吸引し、被告人に金をせびり、テレビや家具などに当たり散らし、揚げ句の果てにはシンナーを吸引した状態で交通事故を起こしたり、ホテル内でシンナーを吸引して警察沙汰まで起こすという常軌を逸したものであった。被告人は、被害者の金の無心に応じ、被害者のために罰金や弁護士費用などの尻拭いをしたため、退職金もわずかしか手元に残らないなど被害者のために多大な経済的負担を強いられた。加えて、被告人は、被害者の就職後は、何とか被害者を立ち直らせたいとの一念で早朝に出勤して深夜に帰宅することの多い被害者の生活を見守っていたため、慢性的な睡眠不足に陥っていた上、被害者の前記常軌を逸した行動に翻弄されて心身共に疲れ果てていた。さらに、被告人は、被害者が少年時に、被害者のためによかれと考えて少年鑑別所への収容を希望したことがかえって被害者の逆恨みをかい、また、警察官にシンナーの乱用について尋ねる機会があったものの、本人の自覚にまつ以外にないなどと言われて具体的な方策を示してもらうことができなかったことから、警察等の公的機関に相談しても効果がないとの思いを深くしていた。そうすると、被告人が、もはや誰にも相談することはできず、自らの手で被害者の命を断って全ての決着をつけようと考えるに至ったことも、被告人の当時置かれていた状況に身を置いて考えれば、ある程度理解できなくはない。

しかしながら、被害者のシンナーの乱用は、その程度がかなり進行していたためにその治療に困難を伴うことが予想されたものの、被害者は、定職に就いて以来、シンナーの吸引を再び始めるまでの四か月余りは意欲的かつまじめに働いており、会社からもその仕事ぶりが評価されていたのである。被害者に対して、適切な治療を施す機会を与えつつ、これまで以上に我慢強く被害者を見守り続けることが出来れば、治癒の可能性も皆無ではなかったと思われる。被告人は、それまでの個人的な経験から、警察等の公的機関に相談することに懐疑的となったものであるが、被害者を殺害して自らが責任をとる以外に方法がないと断ずるのはやはり皮相的な思い込みと言うほかはない。被告人が、アメリカ滞在中に被害者の薬物乱用の件で精神科医師と面談した経験などから、被害者に治療を受けさせる必要があることを十分に認識していたはずであると思われることのほか、被告人の経歴及び社会的地位等を併せ考慮すれば、被害者の状況をより広い視野から的確に判断した上、精神科医療施設などの適切な機関の知恵を借りて強力な治療の手段をとるなどあらゆる手立てを尽くす努力をすることを本件当時の被告人に十分に期待できたと言うべきである。被告人がMと協力してそのような努力をしていれば、あるいは本件は別の経緯をたどっていたかもしれないのである。また、被害者の家庭内暴力は、以前には母親や姉に対して暴力を振るったことがあったものの、本件犯行直前に限ってみれば、対物暴力に限られていた。家財道具等に向けられた被害者の常軌を逸した行動は、現場に居合せた被告人やその妻にとってみれば相当の不安と恐怖を抱かせるものであり、その苦悩の深さについては筆舌に尽くし難いものがあったようにうかがわれるが、被告人やその家族の身体等に対して危害を加えるかもしれないという被告人の憂慮は、現実に差し迫ったものであったとは認められず、いやしくも人命を奪うという方法によって全ての決着を付けなければ加害者と被害者の立場が逆転していたかもしれないというようなせっぱ詰まった状況が存在していたわけではない。そうであるとすれば、前記のような動機から被害者を殺害した被告人の行為は、やはり浅慮かつ性急なものであったとの誹りを免れ難い。のみならず、被害者が問題行動を起こし始めてからの被告人の対応の仕方を見てみると、被害者のシンナー購入代金の無心などに対して一度は拒絶するものの、被害者の示威行動に屈し、結局はその要求に応じるということの繰り返しであって、その場をとりあえず収めることのみにとらわれ、根本的な解決をすべて先送りにしていたようにうかがわれる。そして、翻って考えてみると、被告人が、結果として被害者を甘やかし、父親としての毅然たる態度をとってこなかったことが、被害者を一層わがままにさせていったという一面があるのではないかと思われる。このような意味において、被告人には、父親の役割として重要と思われる道理に立脚した強力な家庭内指導が欠落していたという点を指摘せざるを得ない。さらに、被害者が薬物犯罪や交通違反で捕まった際の被告人の対応には、被害者をいたずらにかばうことによって、被害者が自立更生する機会を自ら断ってしまったと言われても致し方のないところがあったようにうかがわれる。被害者の犯罪行為については、被害者自らにその責任をとらせ、物事の善悪やけじめを明確に自覚させて自己の力で事態を解決する方法を考えさせる機会を与えた方が、結局は被害者のためになったのではないかと考えられるのである。

本件犯行の態様について見てみると、被告人は、被害者の頚部を数分間にわたって力一杯絞めつけた後、被害者が死亡していないことを知ると、とどめを刺そうと考え、台所から持ち出した文化包丁で被害者の頚部等を何回も突き刺して右総頸動脈を切断するなどしたほか、心臓を停止させるために前胸部をも突き刺しており、極めて強固な確定的殺意に基づく一方的かつ執拗な犯行であって、その態様は、残忍かつ悪質なものと言わざるを得ない。

人の生命が何よりも尊いものであることはいまさら言うまでもない。治療及び改善更生の余地が残されていたと思われる被害者が、信頼し、尊敬し、頼りにしていた父親に、心の内の葛藤を満足に吐露できないまま二四歳の短い生涯で永遠にその命を断たれた無念さを思うと、被告人の刑事責任は極めて重大であると言わなければならない。本件が、家庭内暴力の問題を抱え、事態の解決に向けて苦悩しつつも粘り強い取り組みを続けている数多くの人々に与えた衝撃には相当大きいものがあるようにうかがわれ、広く社会に与えた影響には軽視し得ないものがあると言わざるを得ない。

しかしながら、他方、以下のような被告人のために酌むべき事情も認められる。

本件は、被告人が自らの責任と犠牲において妻及び長女の家族を救おうとの心情から敢行したという一面をもち、被告人が自らの手で被害者の命を断って全ての決着をつけようと考えるに至ったことも、被告人の当時置かれていた状況に身を置いて考えればある程度理解できなくはないことは先に詳述したとおりであって、そのような意味において、本件犯行の経緯や動機には同情すべき点がないわけではない。また、被告人は、犯行の直前まで、被害者を説得してシンナーの吸引をやめさせようと考えていたのであり、本件は計画的な犯行であるとは言えない。

被害者が非行に走り、家庭内暴力が芽生えた遠因には、幼少時の海外生活の影響による日本の学校教育の場からの脱落及び父親との触れ合いの欠落等の気の毒な事情があったようではあるが、被害者は、本件当時すでに二四歳になっていたのであって、職場関係や女性との交際について欲求不満や精神的な葛藤を抱えていたとは言え、前記のような常軌を逸した行動に及んだことについてはかなりの落ち度があったと言わざるを得ない。

加えて、被告人が犯行後直ちに警察に出頭して自首していること、被害者の親族が被告人に対して同情的であること、被告人は、前記のとおり、その家庭内指導の在り方に問題があったとは言え、被害者の非行に対して被告人なりに誠心誠意、説得に当たってきたことがうかがわれること、現在では被害者の非行や家庭内暴力への対応について他にとるべき方法があったことを率直に認めると共に、性急に殺害行為に及んだことについて真しな反省悔悟の情を示して日夜被害者の冥福を祈っていること、被告人は、犯行当時の五七歳まで一度も罪に問われることなくまじめに生活して来たものであり、温厚、誠実で、職場での信望も厚く、社会的にも相当の地位と信頼を得ていたこと、被告人は、本件により職を失わざるを得なくなった上、本件が広く報道されたことにより厳しい社会的制裁を受けていること、被告人の多数の知人から寛大な処分を求める旨の嘆願書が寄せられていること、被告人は、高血圧症、糖尿病及び眼病等を患い、健康状態が芳しくないことなどの諸点も、被告人のために酌むべき事情として指摘しておかねばならない。

そこで、以上に述べた諸事情のほか、同種事案との刑の権衡等を総合考慮し、被告人を主文の刑に処するのが相当と判断した。

よって、主文のとおり判決する。

(求刑 懲役五年)

(裁判長裁判官 田中康郎 裁判官 田村眞 裁判官 鈴木謙也)

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